AImedentomologie’s diary

ご意見等あればコメントあるいは atmiyashitaあっとまーくgmail.comまでご連絡ください。

熟慮の1年

歳を重ねるごとに自分の中で季節感というものが失われているような気がします。

 

その理由はおそらく、学部生までは講義の有無によって季節のリズムが外部から定期的に強制(矯正?)されていたのに対し、大学院になってからはほとんど講義も無くなったからではないかと考えています。この傾向は再び講義を担当するようになるまで(教員としてのポジションにつくまで)は続くと思います。

 

今年はさらにカナダの田舎町で年の瀬を迎えることになり、これまでであれば忘年会シーズンで大忙しだった時期であるにもかかわらず、特に大きなイベントもなく(クリスマスはどこもお店が開いておらず、めいめいが家庭で過ごすようです)、気持ちを切り替える暇もないまま新しい一年を迎えることになりそうです。

 

とはいえ節目は節目ということで、昔の投稿を読み返してみました。

2017年は目立った投稿を新年にはしていませんでしたが、2016年はしっかりと抱負を述べていました。

 

 

atmiyashita.hatenablog.com

 

およそ2年前の2016年元旦に、私は「自分のスタンスでヒットを打つ」という目標を掲げていました。ほとんど忘れかけていましたが、そんな決意をしたこともあったのですね。今振り返ってみると、その思いが本当に脈々と今日の自分につながっているように感じます。あの時期の私が、今の研究室への滞在を決めました。「どうしたらいいか全く手がかりもないけれど、今のままじゃ自分はダメだ」という強い危機感が、当時の自分にはありました。そういう危機感を抱かせてくれたのは「どうせだから全然違うことに手を出してみよう」と思って2014年に参加した薬剤師養成プログラムでの経験であることは間違いありません。研究室一辺倒になっていた当時の私に、病院や薬局を通して見えた世界が新鮮でした。仕事とは何か、信頼とは何か、科学とはなんのためにあるのか、といったことを深く考える中で「研究ができなければクズだ」「議論では相手が泣くまで追い込め」という偏った見方・流儀に違和感を抱き始め、その結果として今の自分があるのだと思います。

 

2017年は「小休止」または「熟慮」という一年でした。国外への転居、新しいプロジェクトのセットアップ、技術的課題の克服、新しいラボの学生のマネジメント、新しいボスとの論文執筆、OpenCVを使った画像認識の試行錯誤、など、具体的にあげれば色々と取り組んだものですが、全体を通して「ゆっくり考える」ということが多かったように思います。毎日、ちょっとずつでいいからじっくり考える。それを毎日続ける。いうのは簡単ですが、実行は困難です。

 

とくに論文執筆のスタイルとしてこれまで「得られたデータからイントロダクションを考える」という風に教えられて来ましたが、新しいボスの下で「実験を始める前にじっくり考える」ということを強調されました。先行研究を深く学び、その上で重要な問いに対する仮説を立てる、という科学の基本を自分はこれまで軽視してきたと思うに至りました。これは、私が今年最大の収穫と位置づけています。

 

2018年は再び行動の一年になるかと思います。まずは新しいラボでの研究をしっかり形にしなければなりません。また、次のキャリアについても行動を起こさなくてはなりません。余裕はあまりないですし、数年先のことも先が見えない状況ですが、だからこそという楽しみもあります。思い返してみれば私は受験勉強というものに染まってからというもの、将来のための今を生きることばかり繰り返して来たように思います。「将来のための今」に一生懸命になるあまり、幸福感を現在の自分に引き寄せることができないという課題を抱えて来ました。今苦しくても将来は明るい、というスタンスではなくて、今楽しいからこのままいけば将来もきっと明るい、というふうに世界を捉えることができるようになればよいなと感じます。所詮は私にとって幸せとは、脳内報酬系のカテコラミン濃度のことです。

 

2017.12.30 カナダ東海岸・ハリファックスの研究室にて